2011年04月20日
市長杯準決勝でのできごと
社説
Ken はチームで最もメンタル面で強い選手であり、どんな場面でも表情ひとつ変えずにプレーし、コンスタントに結果を残します。
4月17日(日)市長杯準決勝 丸子新田戦
4回裏相手の攻撃、ツーアウトとなり、あとアウトひとつで決勝進出。
そんな場面で彼はエラーをしました。
彼がエラーをするということは、めったにないということでもありませんし、小学生ならエラーしない選手をさがすほうがむずかしいと思います。
もちろん、いつのどおり処理していれば決勝に進出していたのは間違いありませんが、この敗戦が彼ひとりのせいでないことも事実です。
しかし、彼は強く責任を感じました。
6点差を追いつかれた4回裏終了時に、完全に彼からはいつものポーカーフェイスはなくなっていました。
敗戦が決まった後は、眼から涙がこぼれ落ちていたそうです。
私編集長は、試合終了直後すぐに、3位決定戦の行われる隣のグラウンドに荷物を2往復ほど運んでいたため、そのことには気が付きませんでした。
(当然かもしれませんが)その時、彼を責める選手はいないどころか、「気にするな」、「Ken のせいで負けたわけでじゃない」と声をかけていた選手もいたそうです。
声をかけなかった選手も、気持は同じだったと思います。(Ken からは、「オレに話しかけるな」オーラさえ出ていたそうなので。)
その話をある選手の保護者から聞いた時、私は、すでに今の城北は、チームプレーをする小学生スポーツチームとしては完成していると思いました。
少なくとも「月刊 城北新聞」が求めるチーム像を垣間見ました。
このことがきっかけで城北ソフトが大きな物を得たというわけではなく、すでにチームメイトを想う大切な気持ちは城北ソフトのメンバーは持っており、たまたまこのシーンで現れたのだと思います。
両チームがどんなにレベルの高い試合をしても、勝ち負けはつきます。(引き分けのルールは除く。)
当然、「月刊 城北新聞」は毎試合城北ソフトの勝利を願っています。
でも、前述のチームメイトを思う気持ちは、どこのチームにも持ってもらいたいと思います。
これは相対評価ではなく、絶対評価で、どのチームにも勝者になってもらいたいと思います。
最後に
世間では、いろいろな事件が起こっているので、忘れかけている方もいるかもしれませんが、2010年サッカーワールドカップで、日本代表がパラグアイにPK戦で惜敗しました。
駒野選手がPKをはずしました。
その当時の新聞記事の抜粋です。
このワールドカップでは、日本代表は、チーム一丸となったため、下馬評をくつがえして結果を残しました。
「泣くな駒野」
120分の死闘の後に運命のPK戦。パラグアイの5人目の選手が放ったシュートが決まり、日本のベスト8進出がなくなった。
PKをはずした駒野友一はうなだれ、チームメイトが肩を抱いた。田中マルクス闘莉王は「最高の仲間たちとこの一瞬を味わえたのは誇りに思う。
このチームはみんなの心にずっと残るチームだと思う」と胸を張った。
3番目にPKに臨んだ駒野が放ったボールはわずかに浮き上がり、クロスバーの上をたたいた。
両手を頭の後ろに抱え、呆然(ぼうぜん)と立ち尽くした。
チーム全員が天を仰いだ。
センターラインの仲間のもとに戻る駒野を抱きかかえるように迎え入れたのは中沢佑二だった。
試合後、涙をこらえきれず、チームメートに肩を抱かれながら引き揚げた駒野。
ピッチ上では、遠藤保仁や大久保嘉人も目を真っ赤にはらし、本田圭佑は放心状態でピッチに突っ伏した。
「PKは時の運。だれのせいでもない。それまでに決着をつけられなかった自分たちのせい。」ゲームキャプテンの長谷部誠は、試合後の取材エリアを無言で後にした駒野をかばった。
死闘だった。
試合後、闘莉王は「僕らはすべてやった。最後の最後まで勝利を信じ、仲間を信じた。最高の仲間たちとこの一瞬を味わえたのは誇りに思う。このチームはみんなの心にずっと残るチームだと思う」と胸を張った。
スタジアムで声援を送った日本人サポーターも非情な結末に泣き崩れた。
ヨハネスブルク在住の島岡さんは「駒野選手を責める人なんてだれもいない。彼らの戦いぶりは、日本人がやればできるということを世界に示してくれた」と号泣した。
観客席で遠藤のプレーを見守った父、武義さんは「あいつが泣く姿なんて初めて見た。よっぽど悔しかったんでしょうね。でもよく頑張りましたよ」とうっすら涙を浮かべ、気遣った。
Posted by 編集長 at
19:00